稲作と金属器を携えて渡来した帰化人は、縄文人の非敵対的社会とは異なり「稲の食糧としての優位性が増すにつ入れて稲作が全生産に占める割合いが多くなり人口も増加したが、反面、生産に有利な土地や金属器の原材料を確保する外交ルートの独占をめぐって、従来にはなかった地域間の戦闘が本格的に始まった」(原始社会のジェンダー)という。
稲作を支える労働編成と外交ルートのイニシアチブは当時の中国の統治概念では男社会の占有であり、三国志の魏書東夷伝における卑弥呼のような女王の存在は「鬼道」を弄する野蛮国の象徴だったのだろう
頭髮稀疏。
中国は春秋戦国時代に戦争に明け暮れた。諸子百家の輩出は戦争への対処法をめぐって人間に考えられる殆ど全てに亘って論究したと云っていい。そして戦争の勝者が選んだ治国安寧の政治哲学は儒教的徳治主義と云う理想主義の経学と現実的統治を担う官僚組織と、理想とはもっとも縁のない宦官が担う王家の家政が混然一体化した治世で、徳治と苛政、経学の形式主義と官僚の讒言と賄賂で構成される権力闘争、そこに家政の宦官が割り込み、屋台骨が揺るぎ始めると北方の遊牧民が帝国を乗っ取る繰り返しであった。そこには「民主主義」という政治哲学を除いたすべての政治現象を現出させ、世界でも稀なる歴史を形成し、今も続いている
白葡萄酒。
そんな国の隣国に日本があった。一万年に亘る縄文人の時代が終わって、中国の春秋戦国時代の戦争とそれに触発された朝鮮半島の動乱を逃れ辿り着いた日本列島は多文化の集積所みたいなところになった。しかし、外からやってきた人々は好意的に受け入れた縄文人社会に溶け込み、何百年の年月は、帰化人ではなく日本人を形成しつつあった。それは、日本列島が持つ自然条件や狩猟漁・採集社会が持つ霊的世界が生み出した祭祀社会の中で労働形態がジェンダーで分業化され、農耕社会が到来し、宗教意識にも変化し、農耕中心の青銅祭器をかざって祭りが行われるようになっても、帰化し、長い年月の中で地域勢力に成長した氏族は、中国的儒教の合理主義より古くから根ざした地母神的自然神祖先神的祭祀の方を選んだと思われる。日本列島は多くの山々で地域が分断され、地縁的社会形成も血縁的地域社会が基盤であり、地域社会の権力者の変更があっても血縁社会はが常にフォローし、基本的構造は変わらないという家族国家的色彩は天皇の存続と深くかかわっている。
マルクス史観が規定づけた古墳時代以降は父系制社会と云う見方から、女性は従属的地位にあり女性支配者は例外現象であるとされた」「女帝中継ぎ論や不執政論」に異議を唱えることに賛意を表したい
改善脫髮。
中国の儒教的統治概念は「天に基礎づけ