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彼が百恵さん

近、酒井政利さんが 当時の阿久悠さんや山口百恵さんの事を 話しておられます。
しかし、阿久さんや百恵さんがいない今、どこまで真実かと 疑問を投げかけるような話がありました。
 「阿久悠さんには 依頼をしなかったから、彼が百恵さんに詩を作ることが無かった訳で、一種の戦略的な話題作りだった」と。
阿久悠を抜いた秋元康
 しかし、阿久さんは 亡くなる数年前、ひばりさんや百恵さんに詩を提供しなかった事に対して、自分がそうしたと語っています。
ひばりさんに対しては 「完成されているものを新たに違う風に表現していいものか」迷ったと、話していました。
阿久さんには ひばりさんのイメージが世間の人達が思っているのとは 違う風に見えていたのかも知れません。
その結果、“川の流れのように”を 秋元康 さんが いとも簡単に提供した時、この詩が 「僕の考えていたひばりさんのイメージ通りだったので 驚いてしまい、秋元さんに先を越されてしまったと気が付いた」と 淡々と話されます。
秋元さんの才能を認めた上で、早くひばりさんに詩を提供しなかった自分を 叱咤するような発言に聞こえました。

阿久悠に夢を与えた少女達
 百恵さんについては 「あの若さで引退すると判っていたなら、作っておくべきだった」と 残念そうに話されます。
そして、昌子さんについて、「あの頃は ホリプロや徳間音楽工業(徳間音工)に入った時点で、ホリプロと徳間音工がする事に口を挟むことを するべきでないと 考えていました」と 言い、淳子さんに対しては ちょっとした沈黙の後、「時が彼女を見つけ、私の前に連れて来
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